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“木”でつくる公共建築」が抱える矛盾

最近、隈研吾の作品群が「デザインも街のアイコンになる著名建築」である一方で、竣工後数年〜数十年で相当のメンテナンス費用や修繕コストがかかる例が相次いでいることについて記事になっていました。

 

「M2ビル」(1991年)で、その奇抜なデザインで賛否両論を巻き起こした隅研吾ですが、1994年に竣工した「雲の上のホテル」は、隈が初めて手がけた木造建築として建築史に刻まれた作品だったにもかかわらず、2021年わずか27年で老朽化により解体されたのをはじめ、2020年東京五輪の新国立競技場、JR高輪ゲートウェイ駅、根津美術館、サントリー美術館、角川武蔵野ミュージアムなどなど・・

 

竣工から数年が経過した今、維持管理費の高騰、木材の経年劣化、そして当初の期待ほど伸びない集客数——。隈建築が「負の遺産」なのではないかと・・

 

つまり―― 建築家の思想としての“木・自然”と、自治体などが求める“耐久性・長期維持・費用対効果”との間に、大きなズレがある。

隈研吾は、自身の著書で、20世紀的な巨大構造・コンクリート建築を「勝つ建築」と批判し、代わりに、「自然素材(木・竹・和紙など)を使い、環境や時間の流れを受け入れて“変化しながら土に還る建築”=『負ける建築』」を提唱しました。

つまり建築を“消費物”ではなく、“場所・時間・自然と調和するもの”として捉え、竣工後の朽ちや変化も含めて建築と捉えるのが彼の思想なのだと。

一方で、多くの自治体が公共施設に期待する価値は、「できるだけ長く使えること」「修繕やメンテナンスコストが低いこと」「安定した利用・維持が可能なこと」が大前提です。

また、著名建築家の名前やデザイン性は“ブランド”として選ばれがちですが、メンテナンス費用の見積もりやライフサイクルコストの想定が甘く、“デザイン先行”で進めた結果、後日大きな負担となるケースが出てきているのも事実です。

記事ではもし「建築は芸術だ、美しいモノだ」と考えるなら、それを実現するだけでなく、
「その後何十年と使い続けるための仕組み」を同時に設計しなければ、建築は“負債化”してしまう──という警鐘を鳴らしています。

逆に言えば、適切な運営・維持管理と、地域/用途に合ったコンテンツや思想設計をセットにすれば、木造建築は「朽ちても、また生き続ける資産」になりうる。

このバランスをどのようにとるのか、とることは可能なのか?

今後の彼の建築そしてそれを取り入れる公共機関が考えていかなければならない大きな課題になるでしょう。